書評日記 第631冊
千年王子 長野まゆみ
河出書房新社 ISBN4-309-01414-3

 社会人になってから習い事を始めて9年間、花の会のトリを担うまでに至るには、並々ならぬ努力と持ち前の技術的なセンスだろうか…いや、一番必要なものは「継続」かもしれない。
 翻って、自分の過ごした8年間──「今年で勤続9年目に入る……こんなにサラリーマンを過ごすとは思わなかった、というか継続中なんだが――を考えてみると、間合いなき継続、というほどではないにしろ、続けてきたことは続けてきたことだし、再開するに障害は無いという結論に達する。というか達せざるを得ない。
 という訳で、トートツに書評日記を再開!
 
 最近、本を読むペースが遅くなって、以前のように一冊を2,3日で読みきるのは難しくなってしまった。かといって、書評日記を書くために薄い本を読むのもアレだし、だらだら読んでいても東武東上線でウンベルト・エーコ著『記号学』の途中でネクタイの上に涎を垂らしてしまったりする訳だし。
 『千年王子』は長野まゆみの趣味全開の本である。栗本薫風に言えば美少年の出てくる小説であるし、中嶋梓的に言えば少女時代にどこか屈折した感情が屈折した感情ではないことに気付くために出来上がる経過でもある。萩尾望都でもいいんだけどね。
 ワールド・ツアー校という名称と少年達が集まる寄宿舎という設定は、長野まゆみの作る舞台装置では一般の読者には「あざとい」と見られるかもしれない。が、「あざとさ」は「あざとさ」のままんま。特別な意図はない……と私は思う。少年愛、美少年、千年前のギリシアを思わせる前後に挿入された風景、フィットイン、マシン、ウェアブルマシン、インナーウェア、φ。仕掛けられた舞台の中でどれだけ自由に振舞えるかを競うのではなくて、それらの言葉から連想されるストーリー、各人の性格、習慣や風紀、ある種のどんでん返し的な結末に至るまで、決して奇妙にはならないかたちで正確に長野まゆみワールドを構築している。
 『テレビジョン・シティ』を読み終えた後に彼女の初期の頃の作品――『絶対安全少年』あたりとか――を読むと、世界の構築の仕方が巧妙になっていて、イメージの伝達が直接的なものから婉曲へ、婉曲であるからこそ中央の空間を意図するような直截的なものへと変化しているような気がする。
 『千年王子』は、2001年の夏に初出であるわけでから、長野まゆみの作品では新しい部類に入る。だから、過去の少年美的感覚の発展形が『千年王子』になるのかもしれないが、その……私にとっては、ウェアブルマシンを付ける重度障碍者というリヨンに対して美の賛美を与える登場人物あるいは学校の設定に、通常の同性愛小説とは異なる著者の視点――大げさに言ってしまえば生き方あるいはスタンス――を見てしまう。もちろん、だからこそ好んで読むわけだが。
 誤解無く言えば、毎度思うのだが、長野まゆみの本を読んで感想を求めるのは蛇足に過ぎないよなぁ……。

update: 2003/04/21
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