書評日記 第642冊
上司は思いつきでものを言う
橋本治
集英社新書
ISBN4087202402
上司は思いつきでものを言う
 4月ごろ出版されて一気にベストセラーとなる。『バカの壁』が出た頃だったと思うのだが……って『バカの壁』は一年前ですね。
 橋本治の言う通り、「上司」の部分には何を入れてもよい。曰く「おんな」、曰く「顧客」、曰く「部下」、曰く「あなた」、曰く「わたし」、誰でもいいのだが、思いつきでものを言われている、と思ってムカッっとしたら「あぁ〜〜〜」と呆れてしまえればよいのです、という本である。
 実は、呆れるというのは結構難しい。相手をバカにせず、かの人の言った言葉に対してのみ呆れてみせないといけないので、なんじゃそりゃと思って、気軽に呆れてしまうと、顧客苦情が飛んでくる(苦笑)。なので「お客は思いつきでものを言う」ときに、呆れるほうは結構な訓練が必要なのです。せいぜい上司に対して呆れることを以ってして練習してみましょう。
 
 amazonなどの感想を見ると、橋本治の文体/スタイルもあるのだろうが、賛否両論である。突っ込みが甘い、当たり前のことを言っている、という苦情(?)もあれば、よくぞ言ってくれた、○○に読ませたい、という賛成意見もある。大体において本というものは、ベストセラーになると賛成でも反対でもない人たち、ベストセラー故にベストセラーの本を買うという構造(中島梓談)に陥るので、どっちという訳ではない。ワインバーグの言うイチゴジャムのような気がする。長々と儒教の話やら、上司/管理職/会社の立場やらを説明していくのだが、粒は最初にきちんと埋め込まれている。行為としては、相手の土俵に上がることなく「呆れる」のである。
 
 大抵の場合、上司と部下の関係は、先輩/後輩の関係でもある。想像だが、若い上司と年配の部下の間では、「上司の思いつき」は無理なような気がする。というのも、年功序列に従った階級制度の中でしか、能力の低い上司と能力の高い部下という関係は生まれない。もちろん、両方とも能力の低い場合もあれば、正当に能力の高い上司/能力の低い部下という関係もある。『上司は〜』の対象としているのは、企業に勤めるサラリーマンであり、いままでの年功序列制度に従って管理職になり得た、比較的能力の低い上司の下にいるヒラ社員達である。
 もっとも本書は、総理大臣を頂点とする日本官僚制度のピラミッドにも至るわけだが、国民=あなた(国家公務員を除く)、は国民主権上、総理大臣の上に位置するわけだから、本来は「小泉首相がうんたら〜」と愚痴をこぼす必要はなく、呆れたり選挙に勤しんだりすればいいわけで、ピラミッドのトップも含めて官僚主義の場合には、国民レベルよりも高い官僚は生まれないのである。
 
 会社の話に戻すと、いわゆる景気の悪い時期、最近景気がよくなってきたと言われる時期に、「現場」を大切にしないと駄目ですよ、という警告でもある。埴輪会社の例もあり、社の存在理由に固執すれば、埴輪会社自体が傾いてしまい、無に帰してしまう。と、このときに、埴輪を美術品と捉える部下がよいのか、コンビニ説を唱える上司がよいのか、結果的にはわからない。ただし、総意としてコンビニ説に流れることは多い。根回しとか折衷とか、ビジネスライクではない日本ビジネスの不思議さがここにある。
 で、見落とす人も多いと思うのだが、ここでコンビニ説を唱える上司を示して、橋本治は「思いつきの良い漁場は中間管理職にある」と言っている。実は、この「思いつき」は飛躍し過ぎた思いつきである可能性も高いけれど、飛躍ゆえに現状を打開する素晴らしいアイデアである可能性もある。そういうところでは、埴輪を美術品として捉え、埴輪に固執してしまう部下は狭い意見として見えてくる。
 この上司/中間管理職の話は、デマルコ著『ゆとりの法則』と同じである。昨今、中間管理職をリストラして、経営層と現場(部下)を直結させた二層構造を推進させる会社が多いが、実はこのような情報過多の経営層では融通が利かないことが多く、ゆとりが少ないために斬新なアイデアは出にくい。経営層ゆえに社の方針に固執することも多く、次世代の経営層を育成する基盤もなくなってしまう。部下は上層部の命令に従う兵隊でしかなくなってしまう危険性がある。中間管理層は、現場も見えて会社の都合も見えるという挟まれた場所にある。『上司は〜』では中間管理職が会社あるいは現場の立場に揺れる、ということを書いているのだが、その危うい立場にある「ゆとり」こそが、現場と会社とのハブになって良いアイデアを生み出す土壌になっていた、と言える。
 デマルコやワインバーグの話は、アメリカ社会が中心になるので、橋本治の言う通り日本にそぐわない部分も多い。年功序列、儒教、敬語/謙譲、という形で、上司/部下、顧客/請負、という対立の中で、それぞれの能力をいかに推し量るか、というのが焦点になっていくだろう。
 
 そう、あとがきにも書いてありますが作家=出入り業者という感覚は非常に同感です。いかに「読者」に対してわかりやすい文章を書くか、という能力が文章家に問われるのです。いかに、「編集者」に受け入れやすい形で概要を説明するのか、本の解説をしていくのかも、「文章能力」のひとつです。
 なので『バカの壁』にもあるのですが、自分の周りにあるバカの壁を崩して、いかに分かり易く話していくのか、高慢機智にならずにいかに難しい原理を分かり易く解説していくのか、というのが出入り業者である作家の「文章能力」です。そういう点では、「呆れる」という話を実にくどくどと分かり易く書く橋本治は能力のある人なんですねぇ、と再確認してしまうのである(もうちっと省いてもいいような気もするけど)。
 そういう能力を持つと、相手の能力が低い高いに関係なく、きちんと伝達する/コミュニケーションすることができるわけで、それをしても「思いつき」に固執する上司/部下/あなた/わたし、がいたら、それは単なる現状が瓦解することに怯える弱者なわけで、思いっきり「呆れ」ればいいわけで、そういうところに労力を使うのは疲れる話なので、やめにしたほうがいいですよ、という話なのですね。
update: 2004/12/13
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