書評日記 第643冊
ルー=ガルー
京極夏彦
徳間書店
ISBN4198506531
ルー=ガルー
 近未来小説である。登場人物や背景などの設定は読者から募集し、京極夏彦が執筆を行うという形式を取っている。
 考えてみれば、『動物化するポストモダン』にある深層である設定を、複数の人が想定して作品を作り上げるという形式にあてはめることができ、そうすると京極夏彦は、その深層を汲み取った創作者の一人となる。一次創作のない二次創作のみのあるという現象(最近のゲームの映画化とかは実はそうかな)を実現している、という興味深いといえば興味深い作品である。
 
 果たして中身のほうは、京極夏彦らしい読むということに貪欲な読者を十分に満足させる作品であろう、と思う。彼の作品は、講談社の文庫になってから少しずつ読んでいるのだが、無駄といえば無駄、だらだら長いといえば長い、縮めてしまうことも出来るストーリーではあるものの、内容を薄めているわけではない、のが楽しい。一種、渋澤龍彦の本のように、余分に満ちており、すぐに脇道に飛んでしまう。私は推理小説の「推理」する部分が苦手で、犯人が分からなかろうがトリックが謎であろうが、そもそも何が謎なのかよくわからなかろうが、どんどん読み進めて最後まで読んでしまう。そういう推理小説の読者に在らざる読者には彼の本は楽しくて面白のだ。
 
 主人公である少女達はリアルコンタクトをほとんどしない生活を送っている。実際に顔を合わせない生活、端末を持って歩く日常、メールだけをやり取りして感情のやり取りに怯えてしまう暮らしは、実は今の生活によく似ている。まあ、渋谷の街中を見ると、もっとあっけらかんと地べたに座ってメールを打っているわけだから、悲壮感とかカウンセリングという形を取っているわけではないのだが、オジサン(36歳也)から見れば、「似てるね」と言わせて頂きたい、かな、と。
 住居地区が生活環境によって区画で分かれていたり、警備員が幅を利かせる街、という設定はSFちっくなのだが、カウンセラーの女性と中年の刑事という組み合わせは、京極夏彦である。そのあたりのギャップ、ある意味で荒唐無稽さも含んで、無理矢理「世界観」という形で構築してしまって、少女達が謎解きにまっしぐらというストーリーを作ってしまうのは、やっぱりエンターテイメントということで、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが取り辛くなっているという背景と最後のどたばたは、実にアニメチックであり、どちらかといえば二次創作に近い収集の無さ(あるいは広がり)を感じさせてくれる。
 さすがに最後のスラップスティックの雰囲気は、高千穂の『ダーティペア』には及ばないかなぁ、と思ったりもするのだが、まあ厚みで言えば、『ルー=ガルー』のほうが4倍ぐらい厚いので、面白い試みということだろう。そのあたりも小説家として必要な技量ということなのだ。
 
update: 2004/12/14
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