書評日記 第645冊
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綿矢りさ
河出書房新書
ISBN4-309-01437-2
ルー=ガルー
 芥川賞には驚いたけど、考えて見れば少女漫画デビューなどは中高生が多いわけだし、文学という分野においては女性のほうが早熟(1000年とかいうレベルで)なので、その位のことで驚いてはいけないのかもしれない。
 東武練馬から読み始めて、小学生とツるむところまで差し掛かったとき渋谷駅であった。いっそのことこのまま山手線を一周しようかとも思ったけど、席を立ち降り、午前中の仕事をこなして、昼に喫茶店で読了。
 ありきたりな比較ながら山田詠美の小説に似ている。高橋源一郎だったか、山田詠美の日本語能力は非常に長けている美しい、という感想を漏らしていた。自在に日本語を操り、古い言葉から現代の流行語までを巧み操る彼女の小説には、一種の「音楽」らしい流れが存在する。それと同じように、綿矢りさの小説にも、独特のリズムがある。それを「文体」として括ってしまうことも出来るのだが、長い文と短い文が調子良く織り交ぜられている言葉達は、長い演説でもなく物語りでもなく、生き生きとした同時代性、いや身の丈にあった視点から紡ぎだされる身体性を感じさせてくれる。人と接しているという暖かさだろうか。
 
 「パソコン」ではなくて「コンピューター」という用語が使われているのは、5年前という設定の重たいマッキントッシュ(だと思う)を想定しているからだろうか。かずよしの言う「リセット」ではなくて「再インストール」という言葉は、ゲームのように死んでやり直しという意味ではなく、自発的にもう一度やり直す、生き返るというイメージが強い。大江健三郎の言う「再生」に近い形で使われている(と私は思う)。
 後半は風俗チャットをする二人の描写が続く。チャット、Eメールと言えば、異質な最先端技術を文学の世界に組み込んだような顔文字や横書きのものが多かったり、ちょっと勘違いしているものもあったりするのだが、『インストール』の中では、ごく自然にチャットの風景が「みやび>」という形で現れていて齟齬を起こしていないのが自然だったりする。主人公により語られる一人称の風景なのだが、臨場感という点では実に少女漫画に劣らない映像を思い起こさせるところが素晴らしいと思う。映画にもなることだし、そのあたりの描写は、決して裏切られないような気がするのが不思議だ。
 
 そうそう、この小説にはありがちな若が書きというものが無い。小説を書くことに対して実に等身大的な自分の視点から周辺を描くことに長けている。そのうち『蹴りたい背中』も読んでみよう。
update: 2004/12/22
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