書評日記 第16冊
死者の奢り・飼育 大江健三郎
新潮文庫

 ノーベル文学賞作家になってしまった大江健三郎の本。忘れもしない2年の秋に大江健三郎という名が全国に知れ渡ることになる。私にとって、筒井康隆、安部公房に並び大江健三郎は愛読作家の一人であり、悪書のひとつである。
 当時より大江さんの著作は解釈が難しいとされている。受賞当時のインタビューでは「東大生にも難しい」(東大生の方、慣用句につきすまん。)と銘打たれていた。だから、一冊でも読んでいると結構な眼で見られた。(わるいけど、私は就職のときにこれをウリにさせて貰った。というか、私の取り柄はそんな「人より変わっている」っていうところぐらいしかなかったから。)この「死者の奢り・飼育」はわたしが大江さんの本に出会った最初の本だと思う。このあとは、「M/Tと森のフシギの物語」「個人的な体験」「レインツリー」等が続く。

 さて、口調(文章だから文調か)を変えていってみよう。
わたしに言わせれば、大江さんの小説は決して難しいものでも、なんらかの批評家(ドモ)にどーのこーの言われる必要のない人(あぁ、これも慣用句なんですぅ)である。キーポイントは、心身障害者である息子を持っているということだけだ。その息子「光」のCDもあるけど(あいにく聞いたことがないので、云々することは避ける)、大江健三郎はかの息子に振り回され、教えられ、育てられ、大小ともどもの勘違い、そして親馬鹿になりつつ、それらのすべてを小説に詰め込んでしまった、まっこと現代稀にみるキチョーな存在である・・・なーんてことをいうと真面目に読解しておられる方々に悪いような気がするのだけど、ぶっちゃけた話、大江さん自身はインテリ風を吹かせるわけでもなく(みてくれが、インテリになってしまうのはしかたがないとしても)まことに素直に素直に小説を書いてくださる人である。
 南米文学に似ている、といっても分かる方は少ないだろうから(バルガス=リョサとか、ガルシア=マルケスとかの雰囲気なんだが)口悪くいうと、お気楽・ご気楽なんだかんだ考えたって、ぱっぱやになった人が勝ちなんじゃなかろうか?、ってな雰囲気が漂っている。

 あー、大江健三郎をこういう風に言ってしまうと怒る人がたくさんいそうな気がする。でも、さ、本っていうものは、作者ひとりで作るものではない。作者と読者が作るものだ、と思わない? そう、これを読んで大江健三郎の作品にあたろうという人は、大江さんと私と貴方で作ることになるのだけど。お分かり?

 蛇足ながら、ホントに読もうと思われた方には新潮文庫の「人生の親戚」という、1年ほど前に出た本がお薦めです。予備知識は「キリスト」のひとこと。

update: 1996/06/13
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