書評日記 第49冊
逃走論 浅田彰
ちくま文庫

 ちょっと便利かもしれない「ReadMe!」から本読みリンク用の「虎の威をかるきつね」を拾ってくる。いやはや、本選びのセンスがまるで俺と同じ(失礼か?)なんで、なんともかんとも・・・。とりあえず、俺の本読みリンク、またひとつ増えました。 しかし、なんだ、「リンクします。」ってメールを出したけど、「リンクしてチョーだい。」のメールがよかったかな?

 さてと、浅田彰著「逃走論」(ちくま文庫)は船井から借りっぱなしの本。この題名から、伊丹在住の漫画家、川崎ゆきおが、夜中に走ったとかなんとかは、彼から聞いた話である。ちなみに、川崎ゆきおは、変な怪人と変な忍者を描かせれば、日本随一な漫画家である。もちろん、描かせれば、の話であるが。でも、俺が印象にのこっているのは、「じゃり子チエ」のパロディ。いや、あまり詳しいことは云えないのであるが、万子に棒をつっこんで、ぐーるぐーるする場面、「あーれー」というところがなんとも卑猥&おかしい。んー、だから、俺のリンク集の末尾には「下品なリンク」があるわけだ。んー、奥が深いね。

 話を元に戻すと、俺は船井から『「逃走論」は最初の章を読めば十分』と云われたので、素直な俺は、未だに最初しか読んでいない。その最初の章の目次だけを引用すると、「逃走する文明」、「ゲイ・サイエンス」、「差異化のパラノイア」、「スキゾ・カルチャーの到来」ってな具合になっている。
 既に解っている人には周知の事実、わかんない人には全然わからないので、ちょっと説明するのに骨が折れるけど、「快楽主義の哲学」の文章を借りると、「人生においては、物事に立ち向かっていく方法と物事に寄り添っていく方法があるが、その究極は同じことなのである。」というところの、後者の「ゆらゆら・ふらふら」型の生き方を説いている。 すべてが「逃げる」ところから始まると云う。既製のものから抜け出すこと。それも、積極的な意思ではなくて、ただ、それはもう嫌だから逃げる。ばらばらになってみる。散乱してみる。分散してみる。ばらばらに、あっちこっちに、それぞれに、興味をもって、広がっていく。
 ま、そんな風に理解したんだけど、こんなもんでいいのかなあ。スキゾ好きの俺には、体得できたんから、まだまだなんだか、よくわからない。ま、深く考えるのはよそう。それこそが、スキゾ・キッズであるから。

 そうそう、忘れるところであった。日曜日に買った高橋和巳の「悲の器」、読み終わりました。動機が不純であったので、読み終える自信はなかった(時々、半ばでほうり出すし・・・)のですが、朝1時間、夕方1時間の通勤時間を利用して、2往復半。ま、早いともいえないけれど、俺としては、まあまあのペース。
 珍しく解説を読み、彼がこの小説を書いたのが30才前であったことに、驚き、これをさらりと言ってのける、ぺー、に驚く。
 しかし、高校(でしたっけ?)の教科書に載ったり、受験用に使ったりと、こんなHEAVYなものが一般学生に耐えられるのか、どうなのかは、ま、どうでもいいことなんだけど。

update: 1996/07/17
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