書評日記 第154冊
心の声を聴く 河合隼雄他
新潮社

 対談集というものはあまり買わない。エッセーもほとんど買うことがない。というのも、基本的に作られて推考されたものからできたもの、つまり「小説」こそがその作家の作品だと思っている。河合隼雄は小説を書かないが、数々の心理学関係の本を書いている。俺はそれを好んで買う。まあ、ユング関係ということもあるし、ユング研究の第一人者である河合隼雄教授ということもあるし、いや、なによりも大学時代の聴講が大きなキッカケになっていることは事実だ。この書評日記でも「ユング心理学と仏教」ということでつい最近紹介したばかりだ・・・という事実を今、気づいた。うーむ、最近自分の時間が濃いからあなあ。随分前に紹介したと思ったのだが、なんてことはない、2日前の話ではないか。ま、いいか。これは対談集だし・・・。
 まあ、これを買った理由は、河合隼雄対談集ということもあるが、何よりもその対談者のラインナップに惹かれた。ちょっと列記してみようか。山田太一、安部公房、谷川俊太郎、白州正子、沢村貞子、遠藤周作、多田富雄、富岡多恵子、村上春樹、毛利子来。となっている。まあ、安部公房ファン、谷川俊太郎ファン、遠藤周作ファンの俺としては、面白い対談に出会えるのだと思うし、また、山田太一、沢村貞子、となるとはずせないような気がした。そうそう、俺は「本」に魅了されてそれを取る。
 俺が書店のたくさんの本の中から一冊を選ぶ時、さっと手をかざす。そうすると触れたい本というものがある。それを手にとる。まあ、そのままレジに持っていくこともあるし、最初の数頁を読み下すこともある。「時期」が違うと思う時がある。そんな時はその本を棚に戻す。俺は本を買う時は4、5冊一遍に買うことにしている。というのも、一冊に絞り切れないというのもそうなのだが、傾向の違う本を一遍に買うことにしているからだ。これは、速読をしていた時の癖である。速読ができるようになると、毎日2、3冊のペースで読むことができる。その時に同じ傾向の本を読むと、その作者やジャンルに縛られて本来の面白さ&つまらなさが良く分からなくなってくる。就職してから、本を読む時間は通勤時の電車の中、往復3時間弱になったし、本を読むスピードも落ちているので、買ったままで読まない本も出てくるが、まあ、それは「出会い」がなかったと諦めているし、数ヶ月たってひょんな時に読み返すこともある。フロイトの「夢判断」はそうだった。乱雑な本棚から、俺の大切な時期、重要なポイントを狙うように本が飛び出してくる。不思議だろうか?神秘的だろうか?でも、そういう経験ってない?
 
 「心の声を聴く」のラインナップを見た時、一番気になったのは、村上春樹が居ることだった。なぜ、村上春樹なのかわからなかった。余談だが、俺は、村上龍の本は「コインロッカー・ベービー」しか読んでいない。他にもちょこちょこ読んだが、あんまり面白くなかった。姓が同じなのか、村上春樹の本も読んでいない。以前、友人に貸してもらった「パン屋襲撃」を読んだ覚えがあるが、全然記憶にない。単に姓名が同じだけの話しなのだが、そういうわけで、「ノルウェーの森」だとか「ダンス・ダンス・ダンス」だとか、この対談で話題になる「ねじまき鳥クロニクル」も読んでいない。まあ、単にベストセラー嫌いというのも一因なんだけどね。・・・読んでからベストセラーになってしまったものは仕方が無いのだが、読む前からベストセラーというのは胡散臭くて、そして、恥ずかしくて読むことを避けていた。まあ、いわゆる、「一般受け」というものは所詮、一般でしかない、という思い込みもあったわけだ。まあね、最近は、そういうことにこだわらなくなってきている。自分の「好み」を前面に押し出すならば、それが「一般」であろうと「特異」であろうと関係ないわけだ。

 さて、この対談集。俺の心にばんばん響く。そう、心臓が締め付けられる。呼吸が変化する。「分析心理学」の時に書き忘れたのだが、深層心理に何かが響くとき、呼吸&心臓の鼓動が変化するという。一瞬、きゅっと縮み、元に戻る。そういう症状が起こるし、それ以来俺は自覚症状として意識してきた。本を選ぶ時も、本を読む時も、人の話を聞く時も、話をする時も、そして、こうやって文章を書くときも。それを意識するとだ、本を読んでいて一体何が自分の心理に響いているのか良く分かる。心の奥底で自分が何を感じているのか、そして、かつての俺は何を感じて何に傷つき何に感動していたのか解ってくる。まあ、そういうことが楽しいわけだし・・・まあね、それを利用して、日記物語やら童話やらを書いているし、将来的には小説を書くのだと思う。本を読む時も、何かが胸を締め付けるような時がある。その時は何かを感じている時なのだ。余談であるが、自分の中と矛盾する文章に出会った時は、左側頭部が膨らむような感じがする。むーんとした感じになる。この時、俺は怒っているわけ。・・・とまあ、こんなことをバックグラウンドで考えつつ、というか、そういう自分の反応を楽しみつつ本を読むようになった。
 で、この対談集だが・・・おいおいおい、俺の心臓は痛みっぱなしであった。息が一瞬止まる。安部公房との対談も、遠藤周作との対談も、非常に面白いし、ためになった。他の人もさすがというべきであろうか。

 村上春樹に話を戻そう。この作家俺にとって何故か苦手な部類の作家だった。だが、彼と河合隼雄の対談を読んで驚いた。
 そう、俺は「日記物語」という、日記読み日記(?)を神話風にアレンジして書いている。日記界の出来事というよりも、俺がいろいろな日記から読み取ったもの、また、現実世界で起こった出来事をアレンジして書く。そう、村上春樹、云うところ、そういう自分の感じた恐怖を表現するのに、散文的なものよりも、「物語」として空想を含めて表現するとより感情の「リアル」さが増すとのこと。また、彼はそういうものを意識して「物語」を書いているとのこと。ははははは、笑いが止まらなかった。電車の中でくすくすと笑っていた。同じ事をやっている。しかも無意識に。

 人は根底の部分でつながっていると云う。一番根底の部分まで下がっていけばひとつだし、其処からいろいろな人の感情へと浮かびあがっていく。そして、根底の部分で近い者は何かを生み出し、それが心に響く。
 「ねじまき鳥クロニクル」を買ってきた。また、ひとり、俺にとって大切な作家が増えたのかもしれない。それがうれしい。

update: 1996/09/09
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