書評日記 第155冊
笑犬樓よりの展望 筒井康隆
新潮文庫

 最近、日記を書くのが嫌になった。俺はこの「書評日記」以外にも「日記物語」で神話を書いてみたり、童話を書いたり、エッセーを書いたりと、基本的に文章のHPを作ろうか・・・なぞと思いつつあったわけだが。いや、なんというか、その、静々とやっている俺自身に嫌気がさしてきた。そう「ユング」だなんだ言っているけど、結局のところ俺は筒井康隆が好きなのであって、彼の毒舌が好きなわけだ。ははははははは、最近、再びめそめそしはじめた自分に喝を入れよう。は、ああ、以前にもそうやって自分を立身させて、なんかまた、だんだん弱まってしまうのは人と会ってみたり、また、人の意見に自分を合わせてみたり、妙な言動をされたり、妙な言動をしたりと・・・とまあ、色々長々とやっていたわけだが、はあ、やめやめやめ。俺は、この書評日記で好きなことを書かせて頂きます。そう、たまには罵倒もあるでしょう。たまには、誉めることもあるでしょう。でもね、そういうのにいちいちかっかなさらないで欲しいわけ。いや、まあ、なんつーか、俺の場合は一人っきりでがしがしやっている方が面白い。他人の顔色伺って、ぼそぼそやっているのは気分が悪いぜ。精神的にも肉体的にも萎えてくる。はははははは。つーわけでさ、まあ、もうちょっとなんとかしようかと思う次第。期待つーか、そういうのは置いといて、とりあえずは、泣き言云う奴は「この書評日記を読むな!」と言いたいな、うん。
 さてと、小心なんだか、躁状態なんだか、おおらかなんだか、心が狭いんだか、よくわかんないけど、虚勢であろうと、等身大であろうと、ここでこうやって「稀Jr」を演じている俺は、まあ、なんつーか、諸君諸嬢が思う俺であるから安心(?)せい。今度こそはきちんと「カモフラージュ」を噛ますからね。君達は、どんどん泣きなさい喚きなさい。怖がろうが弱まろうが、まあ、俺が徹底的に独りぼっちになろうが、「真実」ってぇのは恐ろしいものなのだよ。そういうのに精神的にも肉体的にも耐えられる奴が、自分を成功させることができるわけだ・・・ってさあ、社会的には成功しないかもしれないけど、その辺は、世の中いろいろな奴がいるから大丈夫か。まあ、徒党組む奴はロクな奴はいねえ。うん、つーわけで、俺は大丈夫ですよ。うん。

 んでだ、まあ、本日の一冊なんだが、筒井康隆「笑犬樓よりの展望」。まさしく、俺の目標であるところの作家である。彼は、まあ芝居の方が長いわけなんだが・・・、芝居の方は見たことがない。機会があれば見に行きたい次第。
 まあ、有名な話だが、あの「断筆宣言」以来、本当に筒井康隆は筆を折ってしまったわけ。俺にとって筒井康隆は「小説家」として捉えているわけだから、まさしく、それは彼の「死」すら意味したわけだ。
 そう、アサヒネット主催で、JALIがあるが、最初の「越天楽」はちょっとひどかった。本当のところがごたごたがあって、乗り気でなかったのかもしれない。しかし、まあ、ちょっと、精力減退ぎみといったところだった。その後にでた「ジャズ小説」も俺にとっては面白いものではなかった。なよなよのSFロマンチック小説を読まされたところで、俺は、ああ、面白くないのだよ。
 して、久しぶりにJALIに行ってみた。
 ははははははは、俺の大きな勘違い。さすがは筒井康隆師匠である。猥褻ネタは健在であり、その下劣ギャグセンスは衰えていなかった。

 で、再び、「笑犬樓」を読んでいる次第。
 師に続けと言わんばかりに次々と出てくる罵倒の嵐は俺を勇気づける。
 怒れ怒れ怒れ。泣き喚きつつも、反撃されて、おろおろしても、結局、また罵倒してしまうその根性。見直したぞ。うん。いや、俺が見逃してしまったんだろうな。ごめん。はい。頑張ります。
 

update: 1996/11/30
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