書評日記 第156冊
ロリータ ナボコフ
新潮文庫

 はい、皆さんの嫌われ者、稀Jrです。
 今までは、人に好かれよう好かれようと思って、「書評日記」をやって来たけど、はあ、なんだね。いろいろ妙な誤読をされるし、それに対して、妙なことがおこるし・・・ううう、やめやめやめ。いや、まあ、別に人の悪口書こうってわけじゃあないんです。なんというんだろうか、そういう余分な配慮をちょっと少なくしようかと思う次第。というのも、いろいろね「自由」に書けなくなっちゃう部分ってのが出てくるわけですよ、いろいろな人に会ってしまうと。
 ただ、さ、問題だなあと思ったのは、実際に会った人だけに配慮してしまう、つまり、俺の周りの人達を読者として特別扱いすることはどうかな?と考えてしまったわけだ。まあ、他でwww日記を書いている人がどう考えているのか良く分からないし、まあ、それぞれの思いがあるわけだけど、俺がこの「書評日記」や、インターネットで公開する文章に入れ込む思いというものは、別に俺が個人的に知っている人だけに語っているわけじゃなくて、むしろ、未知なる読者が俺の文章を読んで、何かを考えてくれることを望むわけだ。また、俺は俺で作家になりたいから、自分で自分を満足させることができるような、少なくとも、「最低ライン」を守って、何かを語る練習というか習作というか、いや、既にそれは「作品」として完成できるものを出品している気持ちなわけだ。まあ、それは、どういう方法を取るのか、どういう表現になるのか、今は良く分からないし、その場その場で一番いい方法をとるつもりだから・・・ということかな。うん。
 つーわけで、まあ、しばらくは独立独歩でいく次第。敢えて徒党は組まないよ、って訳です。ああ、「本読み」な方は無条件に歓迎致しますがね。あと、俺好みの方は・・・ま、いろいろ。

 さてと、本日の一冊だが、ナボコフの「ロリータ」を紹介しよう。
 そう、俺は最近の音楽関係に疎いのだが、SPEEDという4人の女の子(中学生と小学生のグループ)の歌をTVで初めてみた。ああ、うう。歌がどーのとか、踊りがどーのとか、云う前に、なんだか学芸会で踊っている感じがするのは何故?うーむ、微笑ましいとかなんとか弟と話していた。ああ、15才も違うもんね。いやはや。
 話を元に戻すと、皆さんご存知の通り、ロリータコンプレックスのもとになったのがこの「ロリータ」なわけだ。ナボコフはロシアの作家で、いろいろ発禁本がたくさん出ているのだが、詳しいことは各自調べるように・・・ああ、つまりは、俺はよく知らないわけ。
 で、これを読んだのは、確か高校の頃だったと思う。ロリータコンプレックスの元を知りたくて読んだわけだ。そうそう、余談であるが、男性の大人が少女に恋するのが「ロリコン」であって、逆に、女性の大人が少年に恋するのが「ショタコン」と云う。ああ、これを書くのも、〈神話好きの彼女〉含む「むし’s」のメンバーが知らなかったから念のため。

 そう、「ロリコン」というのは2分される・・・というか、「ロリータ」描くところの「ロリコン」は、少女に対して性的な悪戯をしないところにある。最後の部分を忘れてしまったので、主人公がロリータに対して行為を行なったかどうかは忘れてしまったが、俺が印象的なのは、主人公の男性がロリータの目にキスをする場面である。そういう場面が執拗に出てくる。彼はロリータに対してそういう接し方をして、まあ、一般云うところの「性的興奮」を覚えるわけ。で、彼の罪悪は、少女に対して性的興奮を覚え、そして少女と旅をしたこと自体に対して問われるわけで、決して少女を犯す行為(そもそも無いのだから問われるわけがない)に対して、罪を問われ牢獄に入れられたわけではないことを、諸君諸嬢に知って頂きたい。
 果たして、「至る」行為というものは何であるのか、逆に、「至らない」行為というものは何であるのか、また、どちらが罪悪に問われるのか、いや、そもそも「至る」行為は何を意味するのか、ということを考えて頂きたい。・・・って、まあ、俺も考えてるんだけどね。

 まあ、その辺も人それぞれの考え方なんだけどさ。
 俺としては、そもそも「至る」という行為自体に、精神的な意味があるのか。精神的な意味なくして「至る」という行為は何か意味があるのか。なぞと考えてしまうわけだが。はあ、この点、未だ、「至った」ことの無い俺だから、そう思うのか、それとも、「至った」あとでも俺がそれを考え続けることができるのか、よくわからないのだが・・・。
 少なくとも、聞く限りにおいて、それでさえ、いろいろな考え方があり、それぞれが意見を持っているということを知った。それは、ま、ありがたい話。

 いや、ま、つまりは、「ロリータ」に出てくる主人公の行為は、俺にとって「罪悪」なのか否かということなんだが、ちょっと、結論が出かねる。
 それは、果たして、世間の中での「自由」に基づいているのか、それとも、俺の中での「自由」に基づいているのか・・・といったところであろうか。

update: 1996/12/01
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