書評日記 第208冊
「知」のソフトウェア 立花隆
講談社現代新書

 今、俺が死んだら誰かが困るだろうか、と考えてみる。結論は「誰も困らない」である。今、俺の知っている人で誰か死んだら困るだろうか、と考えてみる。やはり、結論は「別に困らない」である。
 誰も困らないはずなのに何故生きているのかと考えてみると、さして積極的な理由は無い。死なないから生きているのかもしれない。現在誰にも頼らず誰にも迷惑を掛けていないのだから、この世から居なくなくなったって誰も困りやしない。当然、自分は死んでしまうのだから困らない。
 だから、生きることに然したる目的があるわけではない。腹が減るから物を口にする。面白けりゃあそれでいい。楽しけりゃあそれでいい。後悔する頭が無ければそれで十分なのかもしれない。

 大学を卒業し、しかるべき会社に入って、追い出されなれば喰うに困らないだけの給料を得る。さして贅沢が好きなわけではないから、勉強をする必要もない。なのに、何故「本」を読むのか。理由が解からない。
 立花隆が嫌いだ。何故かと言えば、彼が何故そのように知識に関して貪欲にして効率良く溜め込もうとするのかが謎だからである。整理術にせよ、スクラップブックにせよ、書くために集めるのはいいのだが、そもそも何故「書く」のかという根本に疑問が残る。
 資料を整理して探し物をする時の労力を少なくするのは理解できる。経済学の言うところの利得を効率良く得ようとする行動は、ダーウィンの進化論にもあてはまり、社会進化として進むべき道であるのは確かなことだ。だが、彼は一体何を考えて何を吐き出しているのだろうか。
 つまりは、入力部から出力部への流れの中で何が加わっているのか。

 入力部では資料をかき集めて整理をする。色々な組み合わせを確かめて何らかの結論を得ようとする。それは「ユーレカ」効果であり、無から有を産み出す作業だと思う。解かったという瞬間、一体、何をして彼は解かったとするのだろうか。そして、その解かったことをメモに書き留める。出力部として整えられた文章にして「本」として出版する。彼の解かったを他人に解からせるために、膨大な入力部を再び資料として付加し「本」を構成する。
 出力される本の内容が読者にとって全て未知であることは有り得ない。むしろ、新しく知ることが出来るのはほとんどが「事実」であって、その本から得る本来の「ユーレカ」は僅かでしかない。つまり、ほとんどが参照で出来ている本を作って立花隆は何が面白いのだろうか。

 知識欲、つまり、相手より如何にものを知っているか否かによって、尊敬を得るのは何かおかしい。事実ばっかりを知ってればいいというものではない。むろん理解力というものは、知識をこねくり回すことで鍛えられるものだから、その前提として膨大な知識の溜め込みが必要なのは確かなことだ。だから、多少の暗記は必要であるし、知っているということは理解力と比例の関係にあるのだから、膨大な知識欲を満たすことに専念するのも悪くはない。
 ただ、知識欲のみを満たすために膨大な文献に当たり、そこか導き出されるものが種々の組み合わせの結果であることに気づかぬまま如何にも理解を深めた、いや、新しい事実を生成したかのように振る舞うのは如何なものだろうか。

 史実に基づいた歴史書を書くならば兎も角、文学とも言えぬ知識のみを散りばめられた本がただ氾濫するのに俺は耐えることが出来ないのかもしれない。
 実のところ、立花隆を首魁に上げてしまうのは、己に内在する知識欲というものに振り回される自分を発見したからである。かつて、浪人中に本を読む時にポイントにしたのが、何らかの事実が在るか否かであった。歴史小説を読み、数々な史実に目を光らせたのは、日本の幕末の歴史に精通したいが故の知識欲の埋め合わせだったのかもしれない。勿論、其処から俺なりに「武士道」を学び取ったことにより理解と実践から今に至っているわけだが……。
 ただ、まあ、自己に厳し過ぎる己を形成し、快楽に身を任せることを忘れてしまったのは、落とし穴に陥った感じがしないでもない。

 物を書くという作業は相当細かく分類されるようだ。
 俺は事実を書きたいのではないらしい。多分、遅かれ早かれ其れには飽きてしまうと思う。自分が理解し、それを誰かに伝える。その手法はどのようなものを選ぶのか。
 それは、己に一番響く方法を取るのが一番良い。

 むろん、それをそのように受けようと望む者がいればいいのだが、本当に居るのだろうか。何かを勘違いして「面白い」と答えてしまう者が多いのに、こんな単なる実務的な参照の書き連ねがベストセラーになる人達が多い中、俺は一体どのように書けばいいのだろうか。

 読みたいものを書けば良い。それでいいのかもしれない。自分で自分に読ませたい文章を書いていけばそれで十分かもしれない。
 この日記のように本から理解し得たものを書けば、それで良い。
 其処がポイントなのかもしれない。

update: 1997/01/26
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