書評日記 第506冊
おカルトお毒味定食 松浦理恵子、笙野頼子
河出文庫 ISBN4-309-40497-9

 1994年8月に単行本として発刊。
 
 最初にこの本を見た時は、松浦理恵子の名に惹かれたが、笙野頼子の名を知らなかったので買わなかった。当時は対談集がたくさん出ていて、あらゆる作家の組み合わせを出版社が試してみて、本を売ろうという商法が見え隠れしていたのが嫌だった。
 笙野頼子の名を知ったのは「文學界」の広告が抜けた号で、その次の文芸批評に「ページの半分が空白であったが、笙野頼子のことだから、また、何かやったのか、と思った」という一文が出ていたのを覚えている。何故か、笙野頼子は災難に遭う確率が高い、ということを知ったのは後のことだ。
 
 4本ほどの対談が、数年に渡って行われている。未だ売れていない時代。松浦理恵子は『親指Pの修行時代』を書く前で、笙野頼子は文壇に認められる前である。そのためか(?)、前半の二つの対談の方が興味深く、後半の二つはあまり面白くない。もちろん、作品が面白いから、対談やエッセーが面白いとは限らない。むしろ、逆な方が多く、小説として練られたものに対して、エッセーや対談では作家という人間の持つ通り一遍の常識や偏見に偏ってしまうために、作品ほどの強烈なイメージを残しにくい。
 ただ、いわば、「カルト」なファンにとっては、二人の女流作家(と記しておく)の対談は、何であっても興味深いのかもしれない。ファンとはそういうものだ。
 
 この対談集は私には珍しくラインを引いて読んだ。普段は本を汚すことをしない。ただ、最近になってあらかた覚えている小説の粗筋や好きな文句を忘れつつある。決して少なくはない読書量のためか、全く整理されない読了済みの本棚のせいか。
 ラインを引いた部分を書き移しておこう。
 
 松浦「私の場合、10代の頃は、いわゆる女流文学はあまり読まなかったんですよ。なじめなかったんです。好んで読んだというと、河野多恵子さんと倉橋由美子さんぐらいで。…」
 
 松浦「私、ちょっと言語中枢に障害があるのか、何でもない動作の表現ができなくなったりするんですよ。喋っていてもできないんですけれども。たとえば、コーヒーをこう持って口に運ぶ途中で何かに気が付いて拾い上げてまたコーヒーを飲む、というような動作があるとして、それを叙述しようとすると、突然わからなくなってしまう。…」
 
 笙野「難儀なところにはまったな、と。トニー・ウイリアムスのソロを聴いたことのない人が、これを読むことだってあるだろうし、…」

 しかし…、やっぱりタイトルは「交友の一例」で十分だったかも。

update: 1999/06/21
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