書評日記 第516冊
好き好き大嫌い 岡崎京子
宝島社 ISBN4-88063-583-9

 初版1989年7月10日 〜 1997年7月15日第32版(すごい!)
 
 岡崎京子の書く女の子は元気である。…ゲンキンであるとも言う。小説風に言えば、つんと鼻を上に上げて斜めしたを見るような顔付き、か、少し俯きかげんでちょっぴり歯噛みしながらうぅと唸りながら目を上に上げている、風な女の子が主人公である。空白で描かれる真ん丸の目で真剣な表情、、ぼーっとした点の目をした横顔はぽてぽてと歩道を歩きながら進行方向をぼんやりと見ているだけ、そんな典型的とも言える、あるいは、リアリズムから程遠い漫画的な記号を以って、一番、ひとの素直な部分を岡崎京子を描き出しているのだと思う。
 実のところ、「好き好き大嫌い」は原田宗典の「十九、二十」のストーリーほど突拍子もない。だが、内田春菊の漫画よりも皮肉ってはいなく、桜井カオルの漫画よりもロマンチックに浸ってはいない。初出誌が、週刊漫画アクションだったり、漫画ブリッコだったり、コミックトム、平凡パンチ、スコラ増刊コミックバーガー、アクション増刊ハンバーガー、だったりするのだから、決して正統なレディースコミックではないのだが、「くちびるから散弾銃」のように、吐き捨てられる諸風俗をそれと意識することなく、ただ猛烈に描き続ける気力は、作品の中にでてくる登場人物の底力になっていると思われる。
 いわば、タフなのである。
 それなりに深く悩む、悩んだ後は行動する。発散し、泣いた(泣くシーンは一コマも出てこないのだが)後は、決して元通りではないが、元の鞘に収まるのである。これは現状維持ではなくて、完全な崩壊を免れる唯一の方法であり、岡崎京子の漫画が「自殺」から遠いのはこれが理由だと思う。
 そうなると島田雅彦の『子どもを救え!』が今一つ硬直化してしまっている意味がなんとなくわかる。家族を殺すなり、家族を捨てるなりする極端な行動が、実に利己主義的であり自分本位の中でしか出ない結論であることか――むろん、島田雅彦が『子どもを救え!』で結論を書こうとしたか、は別なのだが。
 
 ともあれ、多分、現実にこのような女の子はいないであろうが――偏見か?――実際に行動できるかどうかは別として、一面として誰もが持っている(持っていたい)ゲンキンさを、『好き好き大嫌い』は示してくれる。

update: 1999/07/16
copyleft by marenijr