書評日記 第534冊
神童 さそうあきら
講談社

 絵が特別巧いわけでもない、と「神童」を読み始めたときに思った。手塚治虫文化賞という輝かしい帯は「神童」という漫画を読むにあって決して公平な評価の基準を読者に齎さない。だが、最後に主人公ウタの耳が聞こえなくなり、再び聾唖者の掴み取る〈振動〉によってピアノを弾き始める(であろう)時、確かに文化賞を掴むだけの内実が「神童」という作品にはある、と納得することができた。
 連載中のすべての話を「音/振動」に絡めて謳いあげていくことは、さほど目新しい手法ではない。実際に漫画から音が聞こえるぐらい巧みに、漫画を描けている又は描いているとはいえないが、そのような天才性――例えば「AKIRA」の大友克洋のような、例えば「攻殻機動隊」の士郎正宗のような絵画的な描写――に拠るものではなくて、過去から続いているストーリー漫画の正統性と、かつ単なる小説とイコールのところにあるストーリーからの脱却が、バランス良く交じり合った作品になっている。
 全体のストーリーを見渡せば、野球に引かれつつもピアノをする、ピアノだけではなく野球をする、和音の音大入試、それと学生生活、ウタの売り出し、海外での演奏、耳が聞こえなくなる、再生する、という流れの中で、前半の野球の部分が全四巻中一巻を占めるのは多少長すぎるかもしれない。また、晴れがましいデビューを果たして海外に行き、ノイローゼから耳が聞こえなくなるという経緯はもう少し長めに描かれるべきかもしれない。ただ、それでも有り余るのは全体のストーリーとしての完成度がよりも、天才少女ピアニストという特異性と耳が聞こえないという特殊性が、プラスとマイナスではなくて、とある誰もが持つひとつひとつの特徴として締め括られる点にある。それが、嫌味のない素直な結末&読後を迎えられる証ではないだろうか。
 もちろん、これは私が「編集王」のような人生劇場を好む面を持っているためかもしれない。だが、さとうあきらの「神童」は、程よく濃く絞られたフレッシュジュースのように美味く、そして鼻の奥にしばらく残る香りを持っている、と私は思う。

update: 1999/10/25
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