書評日記 第568冊
呑々草子 杉浦日向子
講談社文庫 ISBN4-06-264783-4

 旅行をするのは日常生活の垢を落とすため……なんてことはない。新しい発見と非日常性を求めて離脱、というのが妥当なところだろうが、隠居を決め込んで今月の呑々草子はどうしようかと動き回る杉浦日向子&ポワール(本名知らず)はどういう気持ちで過ごすのか。一応なりとも取材だし、なんらかの記事を残そうとあくせくするのか、それとも行った後から言葉が浮き出てくるのか。たぶん後者なのだろうが、そこは(文)芸に長けている杉浦日向子、である。
 
 だが、九州への日帰りバス旅行といい、ド派手な水着を買いに行く珍道中といい、ジュリアナ東京潜入レポートといい、決して酒ばかり呑んでいるわけでもないし楽ばかりしているわけでもない。それなりに(という接頭句をどうしてもつけたくなる)記事という結末を付けるために悪戦苦闘しているのだが……まあ、そんなことはどうでもいいか、説明するのは野暮ったい。
 読み終わると食べたくなるのはキノコ。山まで取りに行く気力はないので、サミットで生椎茸と舞茸を買ってくる。当然の如く蕎麦も買う。とろろが喰いたくなり買いすりおろす。鮎の塩焼で一杯呑みたくなり買う。夏に温泉に行きたくなる。夜行列車に乗りたくなる。商店街巡りと日本酒巡りを再開したくなる。夏には一週間の休みを取る予定。などなど、いろいろなことがしたくなる。実行したくなるのが不思議なところだ。
 
 地方、という言い方もおこがましいが、東京に住んでいると東京以外の生活を忘れる。大阪や広島や福岡で過ごした日常は働いてはいなかったけれど(学生だったり生徒だったり浪人だったりしたから)それほど位相の違わない世間に居たはずだ。なのに、地方、という言い方は蔑視なんだろうなやっぱり、に住むこと生活すること東京を中心として考えない生活が難しいと思ってしまう。相対的に言えばニューヨークに比べれば東京は田舎(と定義する)だし、ニューヨークに住む人は東京に住むこと自体を想像だにせず暮らしているに違いない。となると、住めば都、何処で暮らしても一緒のような気もするし、本屋の無い街で一生を過ごすのは耐えられないような気もするし、最新技術がインターネットで賄えればなにも最新にこだわる必要はないのだから、働く場所さえあれば(場合によっては働く場所が無くとも)せこせこ暮らす必要はないのに……、と阿佐ヶ谷住人の私は思う。
 まあ、自負だけなのかな。私の青空を観ているとちょっと胸が痛い。

update: 2000/07/12
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