書評日記 第584冊
崩れる 貫井徳郎
集英社文庫 ISBN4-08-747217-5

 弟から譲り受けた Libretto に Linux を入れる。何処をヘマしたのか最初に入っていた Windows 95 が立ちあがらなくなり、CD-ROM からの読み出しが不可能になる。LAN カードを差し込んで近くの UNIX マシンに exports の助けを借りようとするが届かず、Windows 95 を再インストールして CD-ROM の中身を空容量に入れるかと思えば9枚目のフロッピィディスクがどうしても読み込めず断念。結局、slackware のパッケージの基本部分(A)とネットワーク部分(N)を最初にインストールして、後から FTP で取り込むことにした。最初からそうすれば良いと思ったが後悔先に立たず。まあ、一応入ったのだから良しとするか、と満足する。
 んが、カーネルの再構築に失敗して再度インストールのし直し。PCMCIA がらみはややこしい。Libretto のメールサーバ化は遠いのかも。――再構築なぞせずにパッケージを入れて SMTP の設定をすればおしまい、なのだけど。
 
 パソコンに詳しくない人には何のことやら分からないし興味もないと思う。パソコン用語はマイクロソフトが生み出した三文字省略形やカタカナ言葉の氾濫になる。ジャーゴン(俗語)の嵐になるわけだが、これが意外と楽しい。一般の人が分からない言葉を一般でない仲間内――この場合、面と向かって話すのではないので架空の仲間――だけに通用する言葉で遊ぶ。学術用語も文学も同じ種類の面白さを持っている。
 
 と、久し振りに片方でディックの本を辟易しなが読んでいる。彼の文は意外と読みにくい。私がSF小説にのめり込まずにSF小説を賛美しているからなのかもしれないが、日本の文芸作品を読むよりも随分つらい思いをしながら読む。つらいが面白くないのではない。すらすらと読めないのはディックが個々の人間性を出さずに人間を描いていくからだと思う。一瞬先は闇のような手探り状態では速読をすると情報が漏れる。所々に配置された専門用語――例えば「プレコグ」という言葉に敏感に私は反応する、ことにしている。ディックだから――を噛み砕く楽しみを瞬時に失ってしまう。文章の平坦さとか物語のトリッキー性とは全く違うところに継続的な興味を持つのである。

 眠れない夜に「崩れる」を半分まで読んだ。次の朝の通勤途中に残り半分を読み終わった。短篇ならではのラストのどんでん返し、同時に余韻の良さには舌を巻く。
 が、それ以上私はこの小説を語る言葉を持たない。「慟哭」を呼んだときの貫井徳郎の構成力の高さは再確認するまでもないのだが、物足りなさが残らないでもない。
 たぶん、文章が逸脱を持つ危うさが少ないからだろう。なまじきちっとした文章で書かれた秀作としての短篇が私にはしっくりとしない。ハレの無さを感じる。
 森博嗣の小説を読んだ後の感想に近い。無心な踊りの部分があっても良いような気がする。あると崩れてしまうのかもしれないが、それが風流で良い……としておこう。

update: 2000/08/26
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