書評日記 第610冊
内乱の予感 島田雅彦
朝日文庫 ISBN4-02-264249-1

 裏表紙から「ヒコクミンは処刑せよ――暗躍する秘密結社・千年王国の辣腕エージェント、ジャック・アマノ、ある処刑の執行を機に組織に疑問を抱き始める。殺された二人は無実だったのか?」
 とあるのだが、ファンタジーとも云えず現実に即した手段としてのフィクションとも云えず、「長編ミステリー」というほどミステリーっぽくなく、中途半端な気がする。
 島田雅彦の「ヒコクミン」シリーズ、というかサヨクシリーズを深く分析して読んでいないので私の解釈が間違っているのかもしれないが、島田雅彦は政治的な疑問を言葉を濁して(あるいは抽象的に装飾化)するあまり、彼の愛読者以外には面白みが伝わりにくいのではないか、と思う。「ヒコクミン」、「サヨク」という言葉どおりの受け方をすれば、反対にある「国家が望む国民の保守性」なり「右翼思想」なり「左翼的動機」なりがベースになっていると思うし、いわゆる社会的な活動を意識した執筆を行っている――彼自身「郊外」に住むことに拘ってる。ゆえに、「都会」への反発あるいは自意識化、マス社会に対する警鐘を彼の著作はある程度含んでいるのではないか?――のだから、「ヒコクミン」を処刑する「千年王国」は決して半村良の「妖星伝」に出てくる隠れ里とは違ったニュアンスを持っているに違いない。
 ただ、「国家の危うさと時代の深遠を鋭く描く」にしては、「千年王国」から指令を受けるジャック・アマノの現実味は巷のミステリーに比べて現実感が非常に薄い。悪く言えば、味付けを試すための習作であって作品とは云いがたい、ように思える。と思えば、いくつかの象徴だけを追い、「島田雅彦の小説を読む」という前提でこの小説を読む姿勢は、解説・清水博子に倣うが正しいのであろう。
 
 解説にもあるが「五分間後の世界」が作品として完成度が低いように「内乱の予感」も〈作品〉としての完成度は低い。この一冊で独立せず他の島田雅彦の小説「優しいサヨクのための嬉遊曲」とか「流刑地より愛をこめて」のほうを先に読むと多少彼が何のやりたいのか理解した上で読むために困惑度は低いかもしれない。「彼岸先生」あたりの次に読むと訳がわからないだろう。仕掛けと遊びの混ぜ方が中途半端な気がする。

update: 2001/03/17
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