書評日記 第611冊
ハルモニア 篠田節子
文春文庫 ISBN4-16-760504-X

 サヴァン症候群という病気があって知的障害者が時として天才的な記憶力や音楽的才能、美術的才能を発揮することがある。脳の部位が言語や音楽や記憶に分割されていてその部位が何らかの形で傷つけられた時、まわりの脳細胞が代替機能を発揮させて失われた機能を補うあるいは元の部位の機能を拡張させることがわかりつつある。
 これはラマチャンドラン著「脳のなかの幽霊」に詳しい。「ハルモニア」は、このサヴァン症候群の病気を持つ二十八歳の少女が音楽的な才能を発揮するストーリーになっている。
 篠田節子が描く小説は典型的ストーリーをベースにSF的なアイデアを盛り込む特徴あるものが多い。「SF」というジャンルに入れてもいいような気がするが、彼女の小説のスタイルがSFというジャンルに入りきらない。いや、瀬名秀明のように科学的な知識を生のまま取り込んでしまうような、区分けの出来にくい範囲にあると思う。一応、「ホラー小説」と銘打ってはあるけれども、いわうるホラーとは全く違う。「純文学なのにホラー」という帯のつく柳美里の「タイル」の逆かもしれない。
 
 チェロ奏者ということでジャクリーヌ・デュ・プレを思い出しても良い。髪を振り乱して弾くルー・メイ・ネルソンはデュ・プレが原型だろう。音楽へのアプローチ&破綻の仕方は、さそうあきらの「神童」に似ている。脳の働きを傷をつけることで最大限に引き出す部分は、コリン・ウィルソンの哲学的な意味を追った小説(題名を失念)を思わせる。
 後半の超現象の部分は、私からみると絶対的な必要性があるようには思えない。しかし、精神障害を持つ由希が自分の意志を相手に伝える手段として言語以外を使う時、音楽――「音符」そのものは言語なのだが――を用い更に言語とは違う未知の力を求める場合、超能力というかホラー的な超現象にならざるを得なかった、という已む無き理由、と思える。あえて、SF的なインパクトを持たないのであれば、超現象に解決を求める必然性はないと思うのだが、最終的な破綻・破局にストーリーを至らせるためには、人間の能力の暴力的な側面――それが「非現実的」であっても――を見せる必要があったのだろう。
 
 長い小説ではあるが無駄なところが無く著者の意図しない遊びの部分はない。極端に緻密な小説とは云えないが、題材と本の分量に見合った満足感を「ハルモニア」から得ることができる。
 しばらく間を置いて「カノン」を読むと良いだろう。

update: 2001/03/18
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