書評日記 第648冊
カウセリングを考える
河合隼雄
創元社
ISBN4-422-11166-3

 昭和61年から平成2年に四天王寺で開催された講演の記録になる。
 最近はカウンセリング流行の部分があって、本書にある不登校や家庭内暴力のような深刻なもの以外に、カラーセラピーやヒーリングのような一般生活にやすらぎを求める形のカウンセリングや、社交性を磨くような自己啓発的なカウンセリングまで様々な種類がある。新聞だったと思うが、ブッシュ大統領はカウンセリングに年間数百万円を費やすという記事があった。人に多くを晒される反面で個人的な悩みや外部からの中傷に対して強く公人を保つための必要経費ということらしい。心理カウンセリングはアメリカでは普通に行われていることで、ある意味でホームドクターや弁護士と同じように何がしかの形で人生に関わってくる職業としての地位を築いている。

 河合隼雄が言うように当時カウンセリングの地位はあやふやだった。いまでこそ、新潟地震や校内殺人に対する心傷をケアする形でカウンセラーという立場が認知されたところもあるが、カウンセラーが「うん、うん」と聴くことに集中し時間をかけている姿は、現代社会においては非常にまどろっこしく時間が掛かり過ぎるという批判があった。いわば、講演にもあるように、物理法則と同じように心療を行い、不登校の子どもを学校に行かせることはできない。人が持つそれぞれの状況と個性に合わせてでしか人は行動することが出来ず、一定の法則ではない。しかし、ある種の法則はある。河合隼雄のいう「たましい」に耳を傾けることがそうなのだろうが、事例分析という形で過去の話をよくよく吟味することによって現在の状況をより深く考えることができる。
 カウンセラーに必要な資質として人の話に耳を傾けること、というものがある。カウンセラー自身の概念や規範をクライアント(患者)に押し付けるのでもなく、とある型に嵌めるのではない。確かにロールシャッハテストやフロイト精神分析風の類型へのあてはめも一方では行うだろう。しかし、心理を学問的に扱うのではなく、人に接し人の人生を手助けしようとした場合、どこまで手助けできるのか?という線引きがそこにはある。だから、感情的で容易な手助けに陥らないように注意しなければならない。
 
 まあ、会社という組織の中で働いていると、上司/部下という関係があり顧客との関係もあり、人間性と金銭の狭間で汲々となってしまうことが多いのだが、後進の育成や人材育成を考え始めたとき、大人を大人として扱い、また仲間として扱うことで共に育っていこうという意思がある場所が、組織としての成長と内部的な結束を育てあげるのではないかな、と思うこの頃であったり。
update: 2005/02/28
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