書評日記 第654冊
痛みと身体の心理学
藤見幸雄
新潮社
ISBN4104291013
 私は自分の立場(スタンス)が明確でないと息苦しく思う方だ。「方だ」と敢えて書くのは、それほど自分の立場を明確にしなくてもスムーズに生きている人がいるような気がして、その心の柔軟さあるいは固執しない態度に尊敬をしたり羨望したりするわけなのだが、とある前駆的な心身症と同じく、それらを含めた形で自分の行為を含めていかないと、常に否定形でしかない自分の心情を持て余し、たいして意味のない(と思えるような)拠所に近視眼的に固執してしまったりするものだ。
 そういう場合には、会社での立場も含めて多層社会であることの再認識と、更に会社の外部を含めてみて比較対照を決め込むのがいいかと思う。ただ、一日の大半を過ごす場であり、一方で具体的な自己実現(という視点が災いしているときも多いだろうが)の場でもあるわけだから、一概に比較し相対的な価値観を生み出すことは難しいのであるが。
 
 この本はカウンセリングの待合室に並べてあった本で、アマゾンで検索した後「プロセス指向心理学」という言葉に魅かれた。実際におきる「痛み」は、根底になんらかの原因(この場合は心理的な要因)を持ち、その表出としての「痛み」になる。だから、「痛み」そのものを対処(例えば、頭痛には頭痛薬とか)するのでは「痛み」は再発を免れなく、根底にある要因に直接対処しようということになる。翻って、身体に「痛み」を感ずれば、実は根底になんらかの要因がある、という図式を持ち、直接感じることが出来ない深層心理(という言葉は使われていないが)を探るために「痛み」の詳細を観察・分析していく、という方式になる。
 立場を変えたロールプレイングを行うことにより、自分の心理状態だけでなく相手の心理状態を知る。怒りや悲しみに対するプロセスを具体的に書き出し再現し、後に客観的な分析を行うことで、感情から来る痛みを知り、根底を知る。こうすることで表層的な「痛み」のみに対処するのではなく、根底を知ることによる対処による「理解」が、とある心理的なスイッチを変えることができる。
 この意図としては、表層的な痛みの根本原因を知ることによって、痛みの意味を理解することができ、反射的に現れる痛みに対する恐怖を抑えることができる、ということだろう。痛みが起こったときの原因不明という不安を解消し、未だ根本原因が取り除かれないにせよ、「知る」に至ることが大切なのではないだろうか。
 
 と、数年前の自分のスタンスに戻すことをパートナーに宣言。書評日記は本格的に再開する。さすがに日1冊のペースで読むことはできないし、(何故か)意気込みも鎮火しているので、思考の足跡的な形で記録しておくことにしよう。「趣味での小説」という言葉に引っ掛かって幾度も考えた末、モノ書き風のスタイルも復活させる。経済、流行、名声などなどとは分離させて、ひそかに実験小説を書いていく予定。つまりはアイデアを紙に書き付けたり、断片を考えてみたりと、仕事やコンピュータではないところに頭を使う(それを人は「趣味」と言うかもしれないけど)。で、プログラム関係はどうしようかなぁと思案中で、こちらは経済面を担うものとして、短期でもあり中期でもあるスパンで行動をしていく。「書く」ということと「考える」ということを中心にして日々を過ごす。余力で仕事をする、っていうのが理想かな。そうもいかないのは、先に1日の大半を過ごす会社の存在で、このあたりは流れに沿うということにしようかな、と思ってはいる。ここが私の「痛み」になるわけだが。
update: 2005/07/25
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